2015年10月09日

満州流民

 私の父は1945年5月、16歳で旧満州の鞍山の製鉄所に就職し、そこで終戦を迎え翌年日本に引き揚げてきた。父の2つ上の兄、私の叔父にあたる漳次郎は同じく1945年5月に関東軍軍属として旧満州チチハル近郊の航空隊に配属となった。同8月9日突然のソ連軍侵攻を知り航空隊は満州国内を敗走する。ハルビン平房で終戦を知り武装解除、ソ連軍の監視のもと満州各地を使役として引きまわされる。12月ハルビンで職を得るも1946年1月発疹チフスにかかり職場を追い出される。香坊収容初で病臥するも奇跡的に回復する。2月収容所が中国人暴徒に襲われ、手りゅう弾で左足の指をすべて失う大けがを負う。病院での静養後10月日本に引き揚げてくる。戦後は京都に職を得たが満州での苦労がたたったのか1953年26歳の若さで他界している。1949年22歳の時にこの満州での経験を「満州放浪記」として綴っていた。その原稿が2001年に実家の土蔵で突然発見され、弟の父親が自費出版したのがこの「満州流民」という本である。


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 ソ連軍の侵攻が始まる前の満州は空襲や戦闘といったものは無く、比較的平穏であった。少なくとも統治者である日本人には平穏な土地であった。しかしソ連軍の侵攻ですべてが一変した。この体験談には、敗走する日本人難民、捨てられる赤ん坊、葬られることのない日本人の兵士の死体、身近な友人の死、暴徒と化した満州人、日本人を拘束するソ連兵などが鮮明に描かれている。経験したものしかわからないリアリティがある。戦中には侵略者として中国人を抑圧してきた日本兵やその庇護にあった日本人入植者がソ連の侵攻によって立場が180度反転したのである。軍人ではなく軍属であった叔父はシベリアへの抑留は免れた。しかし、支配者の頂点でもあった関東軍将校や兵士たちが満州の各地に集められ、順次列車に詰め込まれシベリアに送られるシーンはなんとも悲しい。彼の文章には何度も「負けたのだから仕方がない」という表現がある。いつ死ぬか殺されるかわからないような事態においても「不思議に死ぬのは怖くない。しかし 故郷の親を思うとどうしても日本に帰りたい。それが生きる力だ」というメッセージがひしひしと伝わってきて読むものの胸を詰まらせる。無謀な戦争を始めてしまった大人たちへの怒りが随所に溢れる。彼は軍国少年ではあったが、当時としてはかなりリベラルな思考の持ち主であったことがうかがえる。当時の青少年たちはひょっとして今考えられているよりずっと客観的に世界を見通していたのではないだろうか。


 私が生まれるのは叔父の死後5年後なので当然本人とは出合っていない。彼は長男だったので彼が生きていたらひょっとして私は生まれていないかもしれない。彼と私は時間的には人生を重ねることはなかったのだが50年の時をまたぎ、この本によって何かが繋がった感じがする。すくなくとも彼の言葉は私の心を強く揺さぶる。こんな馬鹿げた戦争は2度とするなよというメッセージをしっかり受け取った。


 彼と同時期に満州に入植した私の父も1946年秋に日本に引き揚げてきている。満州では兄と同じようにソ連軍の侵攻や暴徒により何人も友人を亡くし、荷物は彼らの遺骨だけというありさまだった。友人や上司に支えられて引き上げまでの期間を過ごしたようである。日本に帰りたいという思いだけが命を支えたのだろう。そんな父も86歳。 今は痴呆がすすみ当時のことを話すことも出来なくなってしまった。戦後 日本に帰ってくると彼は猛烈に働いた。それは私腹を肥やすためではないことは子供ながらによくわかった。しかし何のために彼はこれほどまでに他人に尽くすのか私には理解できない部分が少なからずあった。私もいい歳になり、今ではなんとなくわかる気がする。父たちは満州で無念にも死んでいった友人たちの分まで生きようとしたのだ。自分達を生きて日本に帰らせてくれた恩人たちに報いるため必死に働いたのである。そして 多くの日本人にとっても同様に、戦争に負けた屈辱感が日本の経済を再生させた原動力であった点は見逃せない。同胞の命を背負ったその意志の強さは筋金入りだ。


 現在 病の床にある父は一日も欠かさずこの兄の遺稿を抱きしめ眺めている。痴呆が進んでも終戦前後の満州での記憶は決して消えないものなのだろう。この本の内容は出来るだけ多く人に読んでほしいので近々PDFファイルにして公開する予定だ。アマゾンでは入手できない。


posted by kogame3 at 11:20| Comment(0) | 歴史認識

2015年10月03日

かわいそうな牛河さん

 村上春樹さんの小説「1Q84」を読み終えた。村上さんの描く物語に出てくる登場人物はみんなクールでかっこいい。ファッショナブルで都会的なセンスに溢れている。透明感があり人間臭ささは漂ってこない。精神的には自我のはっきりしたちょっと日本人としては珍しいような人物が多い。こころの中ではいくつかの葛藤はあるもののよほどのことがないかぎり感情的なもので動くことはない。いや感情を爆発させるシーンはあるがそれが物語のクライマックスでもある。そのコントラストが大きいというべきだろう。そんな人物描写のクールさこそが、村上さんが若い人に人気がある理由の一つかもしれない。この独特な人物描写は、爆笑問題の太田光さんが村上さんを嫌うポイントでもある。(彼一流のギャグかもしれないが)


 小説「1Q84」や「ねじまき鳥・・」に出てくる牛河さんは例外的な人だ。まず ビジュアルが最低だ。体形はチビでデブ、ハゲで頭でっかち、人相も悪く、ファッションセンスは全くなく、どちらかと言うと不潔で汚らしい。主人公たちとは正反対の生き物だ。所作は慇懃無礼で人に嫌悪感さえ与える。そしてその精神も汚らしい。人の善悪感情や不安といったこころの隙間に入り込む。俗にいう裏社会のおこぼれで生きている人だ。基本的に人間の心の闇の部分に生息している人ではあるが、彼はときおり表に出てきて主人公の心をかき乱す。牛河さんを一人の人間としてみた場合、村上さんの彼に対する扱いはあまりにひどく、もう存在価値のないゴミのような人間として描かれている。物語の中でこれでもかというほど村上さんは牛河さんをいじめている。でも牛河さんはクールでかっこいい主人公のこころをチクチク刺すので無視することもできない。

 そんな牛河さんにも人間らしい過去があった。ということが1Q84 book3で描かれている。ネタバレになるといけないので詳細は省くがいろんな意味で、私自身が彼にシンパシーを感じてしまった。ちょと牛河さんと自分の過去をオーバーラップさせてしまったようだ。そんな、村上さんの配慮(?)に救われる思いもした。人間だれでも牛河さんのような部分を持っているのかもしれない。


 村上春樹さんの小説には、非現実的な基本ストーリーとそれを絵画のように装飾する描写や小道具がある。音楽や食べ物、ファッション、文学などがパッチワークのようにそこに張り付けられ、それらがBGMのように小説全体の雰囲気をかもしだす。村上ファンタジーの世界がそこにはある。本を開けば目に飛び込むリズミカルな短い文体に、誰もが簡単にファンタジーの世界に引きずり込まれる。その雰囲気に飲まれ、読者は日常から解き放たたれ、ファンタジーに酔う。しばらく読み込むと村上春樹さんが一番訴えたい深遠なテーマがその絵画のような物語を透かして見えてくる。それこそが読者の心を大きく揺さぶる。

 この重層的な意味合いをもつ小説のテーマはたぶん映画やドラマといった他のメディアでは表現が難しいのではないだろうか。村上春樹さんの物語は、小説という形をとることによって読者のイメージを喚起する。当然読者にイメージされた人物像は読者によってバラバラであろう。なぜなら 読者の心に投影される人物像は読者各々の過去の人生、その人の「物語」に依存しているからだ。その読者のイメージが小説をとおして物語を紡ぐ。そうすることによって村上さんの訴えたい深遠なテーマの片鱗が見えてくる。不思議なことだ。人の心にあるイメージは、ひとそれぞれ違うのに、多くの人が村上ファンタジーに深いテーマ性を見出し共鳴を覚える。ひょっとして映画やドラマのように最初からビジュアルイメージが固定されたメディアでは、この共鳴は起こらないのではないだろうか。なぜなら、どんなに優れた役者が演じてもそれは視聴者自らの「物語」とはなりえないからだ。牛河さんの役をどんな個性派俳優が演じてもたぶん私はこれほどのシンパシーを感じなかっただろう。そういう意味で村上さんの小説に描かれる「物語」は読者との共鳴現象を喚起することに成功しているとも言える。一番大切なことは言葉にできない。でも 村上さんの小説は「物語」を紡ぐ言葉の向こうに大切なものが透けて見えてくる。活字離れが進む日本における新たな可能性かもしれない。


posted by kogame3 at 13:47| Comment(0) | 日記

2015年09月26日

安保法制と歴史認識問題

 ねじれた歴史観が日本には存在する。ポツダム宣言、東京裁判、サンフランシスコ講和条約。戦争に負けた日本は戦前の政治、思想、文化、歴史を全面的に否定させられた。その歴史に客観的に触れることもタブーとされた。この歴史を見直すこと、すなわち歴史修正主義者というレッテルは一般的な日本人が考えているよりも重い言葉である。そのレッテルを貼られた時点でその政治家の政治生命は終わる。70年前、連合国側の圧倒的な軍事力により屈服し、押し付けられたこの歴史観は戦後教育の中で日本人の中にしっかりと根を下ろした。すなわち、日本は狂信的な国家主義者、全体主義者により世界征服を企て侵略戦争をアジア全域で行った。日本は、自由と民主主義のため戦った平和主義者の連合国に戦力的にも、正義の名においても負けたという歴史認識である。負けたことにより反省し、現在の平和憲法を得たという解釈である。


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サンフランシスコのオペラハウス。今もオペラの上演が行われている。1951年ここで吉田茂首相が連合国側との講和条約にサインをした。この条約の中で日本は東京裁判の判決を受け入れることを認めた。

 1950年に起こった朝鮮戦争、アジアにおける米ソ冷戦構造の顕在化は日本の立場を急変させた。アメリカは日本を急速に西側陣営に取り込む必要があった。戦後東アジアにおいて急速に勢力を拡大した共産主義勢力の台頭があった。早急に日本を共産主義に対する安全保障上の砦、不沈空母としなければならない。そのためには日本の急速な経済復興が必要である。また アメリカ軍の空白を埋めるため、日本の再軍備も進めなければならなくなった。警察予備隊、自衛隊の発足である。連合国=国際連合における安保理会は東西陣営の拒否権発動で早速機能不全に陥った。これらはすべてアメリカをはじめとする戦勝国側の都合である。ソ連の崩壊まで40年間続くこの東西冷戦構造は朝鮮戦争、ベトナム戦争という米ソの代理戦争を引き起こし、世界中にイデオロギー対立の嵐が吹き荒れた。日本は、この対立構造の中、世界政治に介入することから退き、アメリカの軍事的な傘の下、ひたすら経済発展の道を突き進んだ。日本は、1968年に早くもGNP世界第2位の経済大国に発展した。


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ニューヨークの国連ビル。

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国連ビルの横には銃がひん曲がっているモニュメントがあった。

 1990年代、ソ連の崩壊を機に東西冷戦構造は崩れた。世界に平和が訪れるという期待が高まった。しかし 急速に冷戦構造、軍事力のバランスが崩れたため、中東やバルカン半島ではもともと内在していた民族間対立のエネルギーが噴出した。湾岸戦争、コソボ紛争などが象徴的な紛争である。皮肉にも湾岸戦争では第2次大戦後初めて国際連合安保理事会が一致した採択を行い多国籍軍が組織された。日本は憲法の制約から多国籍軍には参加せず戦費分担金の一兆円を支払った。当時の国民世論は軍事力による紛争解決には消極的であった。しかし 人材支援を行わなかった日本に対して国際社会の対応は冷ややかだった。ここから 日本は平和維持活動という名目の人的支援ができる法整備に取りかかることになる。そして1992年PKO法案が可決される。国際社会(アメリカ)が日本の人的支援を求めているという風潮が国民の中にできつつあった。


 2001年9月11日米国同時多発テロが起こった。ハイジャックされた旅客機が次々とニューヨークの摩天楼やワシントンのペンタゴンに突っ込んだ。そのシーンは世界中にTV生中継され世界は震撼した。世界はテロとの戦いの時代に突入した。アフガニスタン、イラクなどテロの掃討を目的とする戦争が続いた。しかし イスラムを名乗るテロ集団の根絶は難しく現在もなおこの戦いは続いている。日本も憲法の範囲内ということで2003年から2008年まで自衛隊をイラクに派遣している。


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2013年当時はグランド・ゼロにはなかなか近づけなかった。近くにあったモニュメント。ここは 今でも弔問に訪れる人の列ができている。

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壁には献身的に人命救助を行った消防士をたたえるレリーフがあった。

 2010年代に入ると経済的に急成長した中国の存在がクローズアップされてくる。中国の軍備拡張とともに海洋進出も脅威となってきた。また 西側との協調で経済発展を遂げてきたロシアもプーチン大統領の出現により覇権主義的な行動が目立ってきた。クリミア、ウクライナ紛争である。逆に第2次大戦後一貫して世界の警察官を自負し、戦争を続けてきたアメリカの負担はピークに達しており、ある種の戦争疲れの厭戦機運がアメリカで高まってきた。オバマ大統領は中東などからの兵力の削減を図った。米国は東アジアや中東におけるアメリカの負担軽減とより積極的な日本の軍事支援を求めてきた。これが 今回の安保法制である。


 確かに東アジアにおける軍事的緊張は高まっているのだろう。しかし 1945年の敗戦によりあれだけ屈辱を強いられ、歴史的な反省を刷り込まれてきた日本人には当然戸惑いがある。まずもって過去の戦争に関する総括とそれに対する世界のコンセンサスが定まっていない。そのような状況で日本はおいそれとは海外派兵をすることはできないのである。そんなことをしてまたぞろ日本が「侵略者」呼ばわりされることだけは避けたい。アジア太平洋戦争の日本人戦死者310万人は何のために亡くなったのか。第2次世界大戦では5000万人以上の人が世界で亡くなっている。日本国内のみならず世界がその問いに応えることができていない。こんな状態で日本軍隊が海外に出て行って人殺しをすることは絶対に許されないことだと思う。アメリカの都合だけで日本は戦争をしてはいけない。かつてナチスとともに「世界征服」を企てた国家として、日本は 国連憲章の敵国条項にあたる国家である。そこには、「連合国の敵国(ドイツ 日本 イタリアなど)が外国に侵略行為を行った場合、国連安保理の許可なく軍事制裁を加えてもよい」とされている。「過去 世界征服を企て戦争を仕掛けた日本ですが、今度は世界の治安維持のため戦争をします」というような言い訳が通るほど国際政治は甘くない。世界の日本を見る目はいまだに複雑だ。現時点においてもなお海外派兵を許される国家でないことだけは確かだ。


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ワシントンの第二次世界大戦記念モニュメントである。戦争に勝ち続けている米国をたたえるモニュメントである。


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真珠湾奇襲攻撃の直後のルースベルトの国会演説が石碑に刻まれている。
1941127この日は醜行の日として生きつづけるでしょう。、、この計画的な侵略行為を克服するのにどんなに時間がかかろうとも、合衆国の国民はその正当性に基づいて、完全な勝利を勝ち取る所存です。」こんな国が海外派兵を許されるのだろうか?

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「自由の代償」として4048個の金星が飾られている。第2次世界大戦で亡くなったアメリカ兵の数である。星一つで100人の命を表す。

蛇足ではあるが、私たちの世代はこの平和な日本を子や孫の世代に引き継ぐ責務がある。どんなことがあっても戦争だけは避けなければならない。私がアメリカや日本各地で見てきた戦争の歴史は論理を超えたものである。戦争に正義なんてない。戦争はすべて悪だ。戦争に自衛なんてない。戦争はすべて侵略だ。戦争で殺し殺されるぐらいなら国家なんていらない。アナーキーと言われようがそれが現在の私の答えである。
posted by kogame3 at 14:46| Comment(0) | 歴史認識