2015年10月30日

改造電気自動車モーター始動!

 車にゴリゴリと穴をあけバッテリーBOXをボルト止めする。大工仕事のようでとても自動車整備とはいいがたい。そして 車のトランクに24個のバッテリーを突っ込み金具で固定する。これで重量が200kg増える。容量は36Ahで24個、10.36kwの計算になる。

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 次にこれも大工仕事でバッテリーチャージャーをスペアタイヤの空洞に取り付け、充電プラグを取り付ける。そして 最後にブレーカーを取り付けモーター駆動配線を行う。

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そしていよいよサービスプラグを結合し、ブレーカーON、、、なにも起こらない。ついで運転席に乗り込みイグニッションキーをオンにする。アイドリングスピードでモーターがスルスルと回り出す、、、。とおもったがキーンという音とともに少し振動を伴い回り出した。喜びというより火花が噴出さなくてよかったという安堵感が先だった。アクセルをおそるおそる踏み込む。回転数がそれに追従して増していく。アクセルは怖くてあんまり踏み込めない。


つぎに ギアをバックに入れアクセルを踏む。トルコンが滑っているのかあんまり回りが良くない。これはATF油不足だ。前進ドライブも回転OKだ。


充電ができることを確認して今日はここまで。ズピードメーターが動いてなかったのが気になるがまた明日。

posted by kogame3 at 17:49| Comment(0) | 改造電気自動車W140

2015年10月26日

シベリア抑留の記憶と国防の要

舞鶴市をゆっくり見学した。最近 シベリア抑留と引揚げの記録がユネスコの世界記憶遺産として登録が決定した。旧満州に若くして入植し、そして大変な思いで引揚げてきた私の親父と叔父のこともありぜひとも訪れたい街であった。かたや現在の舞鶴は海上自衛隊の重要拠点の一つでもある。天然の良港として旧海軍の施設を引き継ぎながら近代的な軍艦が並ぶ。戦争の悲惨な歴史を持ちながら、国防の最先端基地という両極を担うこの街は、その二つの事柄が不思議に融合しこの街の独特な雰囲気を醸し出している。


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引揚記念館は多くの来場者で賑わっていた。



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この引揚記念館の設立にあたっては多くの引揚者が資金を捻出して建てられたそうである。


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シベリア収容初での悲惨な生活。少ない食料を天秤棒を用いて分配する。毎日おおくの人が亡くなっていった。シベリア抑留者の正確な人数は把握されていない。


 厚生省はソ連抑留者57.5万人、6万人以上が亡くなったとしている。未だに正確な数が判明していないことは大きな問題だ。関東軍という国家の軍隊に従軍していたことを理由にソ連やモンゴルに不当に連行され、数年の過酷な労働に従事させられた。これは戦争終結の条件を定めた「ポツダム宣言」に完全に違反している。


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記録するものはすべて取り上げられていたので、白樺の皮に、缶詰の金属破片を用い、木のススを水に溶かして綴られた「白樺日誌」。抑留者は自らの体験を何とかして後世に残そうとした。


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当時の引揚桟橋は撤去されていたが、平成になり再現された桟橋。多くの人が祈りを捧げていた。この桟橋に降り立った引揚者は66万人。日本の引揚港が閉鎖されていく中、昭和33年まで13年間にわたりこの港は引揚者を受け入れていた。


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街の中心部に赤レンガパークがある。100年以上前に建てられた10棟の赤レンガの建物が並び当時の雰囲気を醸し出している。


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海軍記念館。現在も海上自衛隊の施設となっている。東郷元帥をはじめ、日本海軍の記録が多く展示されている。


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北吸桟橋に並ぶイージス艦とヘリ搭載艦。この桟橋の長さは1000mもある。


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へり搭載艦 「ひゅうが」


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五老岳から見る舞鶴湾。深く入り組んだ地形は天然の要塞であることがよくわかる。


 昭和20年の敗戦によって海外に残された日本人は660万人にのぼった。とんでもない数の難民である。彼らが民族の大移動として日本本土に帰ってきた。そこでは再会の喜びとともに大きな混乱が存在したことだろう。現在シリア難民がヨーロッパに押し寄せている。どこか他人事のように見ている自分がいる。しかし 70年前の日本人も同様にすごい経験をした歴史を持つことを忘れてはいけない。


posted by kogame3 at 10:03| Comment(0) | 歴史認識

2015年10月20日

2015年 桟敷窓アート展 

今年も恒例の桟敷窓アート展が10月17,18日に開催された。旧日野地区の文化的活動や歴史的なものを展示している。桟敷窓を外から覗く文化祭というところだろうか。

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桟敷窓があるお宅は積極的に窓を開けて街中の雰囲気を盛り上げる。

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本町はこれも恒例の曳山の展示とお囃子の演奏を行う。

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こちらはマンネリ化した感じがある「焼き鳥」と「日野うどん」の即売を行う。今年は天気も良く 売り上げも原価トントンであった。

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売り上げは お昼の一時間だけが勝負。

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ご婦人方の頑張りで伝統の日野うどんを再現しています。

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繁盛繁盛。町長もおいでです。

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クレイスタジオ クリさんのお宅を訪ねました。4年前に早世された先輩の後をついで娘さんが立派にやっておられます。奥さんと昔話を長々としてしまいました。

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木工の展示もありました。

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拙宅は相変わらずの「あみぐるみ展示」です。家内が展示しています。

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本町若衆によります祭り囃子、フルバージョンです。

posted by kogame3 at 10:32| Comment(0) | 文化