2015年08月08日

安保法制、全体主義、個人主義

 NHKスペシャル「密室の戦争〜発掘、日本人捕虜の肉声」という番組が放送された。戦後70年が経って、戦争中のオーストラリアでの日本軍捕虜の尋問音声が発見されたという。その中に尋問官と捕虜の非常に興味深いやり取りがある。「国家と個人の関係」に関する内容である。


米軍側尋問官

「あなたは英語ができるから、連合軍のために日本語翻訳の仕事をしほしい。日本兵士に投降を呼びかけてほしい。戦争を早く終わらせることが多くの国民の命を救い、日本国民のためになる。わかるね?」

日本軍捕虜

「分かります。しかし 私はやらないほうがいい。敵に協力することで、私の家族が周囲から裏切り者、卑怯者呼ばわりされる。」

米軍側尋問官

「日本人の多くが 政府と国民の区別がついていないんだね。だから あなたがたは、日本政府の害になることは日本国民の害になると解釈する」

日本軍捕虜

「そうです。そうです。」


 興味深いのは尋問官が当時の一般的な日本軍人や国民が、国家と個人を分離して考えられないことを知っていて、そこを尋問の論点にしていることである。半年に渡る尋問の末、東大出のインテリ兵士は悩みぬいて連合国側に協力する判断をする。日本国民は国家に誘導され、間違った戦争をし、自ら死んでいく。早く彼らを助けなければならないという説得に納得するのである。彼はその後、戦地で日本軍の投降を呼びかけるビラを作成することになる。しかし戦後、彼は日本に帰国してからこのことを家族にも隠し通していたという。日本では戦後も国家と個人を分離する「個人主義」は定着しなかったのだろうか。


 今の安保法制の議論の根本的な食い違いはここにありそうである。

リベラル派は、個人主義的国家観にたっている。先の戦争も国家が侵略を企て国民を扇動した。悪いのは当時の国家指導者であり一般国民は被害者であるとする。歴史認識問題でも、この国家と個人の分離が図られ、侵略をした国家は被侵略国に対して謝罪をしなければならないとする。ここで重要なのは個人として罪の意識とか反省があるわけではなく、悪いのはあくまで「法人」としての国家である。安保法制の議論でもこの立場を取っており、保守陣営の説明を軍国主義、歴史修正主義であると非難する。そして 人権を損なう可能性のある国家権力の関与、すなわち安保法制に反対するのである。戦後平和を護ったのも9条をはじめ、国家の基本的人権への干渉を制限する「憲法」があったためだと護憲を主張する。


 かたや保守陣営はどちらかというと全体主義的な立場に立っているように見える。先の戦争に対する韓国、中国からの執拗な非難に対して、個人自らが非難されているという感覚に陥っている。ゆえに一生懸命「日本は間違った戦争は行っていなかった。」と訴える。「戦後レジュームからの脱却」すなわち、日本が世界征服を企てたとする東京裁判史観を否定する。日本は「自存自衛とアジアの開放のため」に戦ったとする。その響きは、個人的には心地よく、ナショナリズムを刺激する。国際政治において日本を取り巻く安全保障上の危険度が高まっている。だから、安保法制の整備が急務だという。パワーポリティクスの観点から、万一の事態に備えて抑止力を強化する必要性があると説く。国家の問題を「我が事」のように考える。そしてリベラル派を謝罪外交、自虐史観、平和ボケの無責任と非難する。


 これでは、議論が噛み合うわけはない。双方で基本的な国家観が違っている。同じ枢軸国側であったドイツの先の戦争に対する取り組み、この原点にあるのもリベラル派の個人主義的国家観であろう。すなわち、第2次世界大戦は、ナチスという国家組織が仕掛けた侵略戦争であったとする。国家としての反省と謝罪、今なお続くナチスの戦犯追及。その徹底した姿勢にドイツの周辺国はドイツ国民を許している。違う角度から見れば、ドイツ国民は戦争責任をすべてナチスという組織に転嫁することで国民と周辺国の納得を得ているともいえる。

 しかし、近現代史をよく調べていけば、正義だけをなした国家もなければ個人もいない。その逆に全くの悪だけをなしたものもいない。これは、戦勝国も戦敗国も同じである。戦争の歴史を簡単なステレオタイプの正邪に分けて解釈してはいけない。日本とは敵対国であった米国でさえ、太平洋戦時中、国家のプロパガンダにさらされた米国国民が「正義の為には日本人を絶滅させてもいい。彼らは自分たちとは全く異なる害のある生き物だ。」と考えるまでに変化していく。莫大な戦費を拠出し、若者を戦場に駆り立てるため、国家が国民を全体主義的傾向に誘導する点も見逃せない。


 安保法制議論では、その局所的な議論や法律論議も重要だが、やはり過去の戦争の歴史を客観的に分析する力が先に必要ではないだろうか。それは 個人の観点からと国家の観点の両方からの分析が必要だ。それなくして議論がすれ違ったまま多数決で物事を決めれば、この先おおきな禍根を残すような気がする。


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2015年08月02日

終戦の詔勅

 終戦の玉音放送の原盤が70年ぶりに宮内庁から公表された。いままで聞いていた音源よりクリアで天皇の生の声に近い。(と勝手に想像しています)。これを機会に「終戦の詔勅」の内容をかいつまんでみた。


前半

・ポツダム宣言を受諾した。

・米英2国に宣戦布告した理由は日本の自存と、東アジアの安定を図ることが目的であり、他国を侵略しようとする意志は無かった。

・戦局は好転せず、さらに敵は残虐な原子爆弾を使用した。

この先戦争を継続すれば日本民族の滅亡と世界文明の破壊が待っている。


 前半のハイライトは、日本が降伏すること、しかし日本は侵略戦争をするつもりで戦争を始めたわけではないこと、そして原爆批判であろう。原爆は世界文明の破壊につながる。だから戦争を止めるとしている。ここにポツダム宣言における連合国側の「脅し」は見事に反映されている。


後半

・東アジアの開放に協力してくれた国々には大変遺憾に思っている。

・戦死し殉職した人、その遺族、戦災を受けた人を思うと悲痛な思いだ。それを乗り越えて世界の平和を切り開くことを願う。

・国家の形は守られた、感情的な行動や仲間割れは世界の信頼をなくすことになるので最も戒めること。

・苦労はあろうが総力をあげて将来の建設に向ける。正しき道に心を向け、世界の流れに遅れないように決意せよ。


 後半はアジアの国々、軍人、役人、国民に対するねぎらいの言葉がある。しかしこの部分の最大の目的は戦闘意欲旺盛な軍人を武装放棄させることにあろう。御前会議で停戦に当たっては天皇は自ら兵隊を説得する用意があると発言している。この部分の言葉により、海外を含め、あれほど勇敢に戦った数百万人の日本軍隊が、奇跡的ともいわれるほど速やかな武装解除を行うのである。世界はこの時、「日本軍は天皇の軍隊であったこと」を本当に理解したと思われる。そしてこれからは総力をあげて「国家再建設に取り組め」という言葉に、日本人は寝食を忘れて国家再建にのりだすのである。この時点で、日本が一番こだわった国体=天皇制が護られたのかどうかという点に関してはよくわからない。しかし こう言わなければ世界各地で暴動や局地戦が続く可能性はあったと考えられる。


 日本は天皇の命により戦争を始め、天皇の命により戦争を終わった。そして天皇の命により、戦後わき目も振らず国家再建に乗り出し現在の繁栄を得る。一般国民はこの詔勅の内容をあまり意識していなかったが、戦後の政治家、官僚、経済界の指導者はこの意味をものすごく意識していたと思う。日本は、この時点で戦争には負け、敗戦国としての屈辱をいやっというほど味わった。しかし 何年か後には、この戦争目的は完全に達せられたのである。そういう意味では「国体は護持された」とつくづく思う。


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2015年08月01日

原爆投下、ソ連参戦、ポツダム宣言

 戦争の歴史は勝者により都合のいいように書き換えられる。ゆえに戦後に「本当の歴史」を知ることは不可能なのだろうか。70年前の7月26日 日本への降伏勧告としてポツダム宣言が発せられ、翌日、日本の鈴木貫太郎首相が「政府は黙殺」とコメントした。これを理由に8月6日、米国は広島に原爆攻撃を行う。8月8日、突如日ソ中立条約を破ってソ連が満州に侵攻し、9日には長崎に2発目の原爆攻撃がなされる。同日の御前会議で聖断が下り日本は「天皇制護持を条件に宣言受諾」を決定し連合国に伝える。「天皇および政府は、最高指揮官の制限下に置かれる」との連合国側の返答をもち8月14日、日本は「ポツダム宣言受諾」を決める。この 3週間に満たない短い間に、原爆により20万人以上の民間人の虐殺、ソ連軍の侵攻と60万人以上のシベリア抑留強制連行これによる10万人以上の犠牲者という事態を招いている。


 戦後の理解では、「原爆投下は早期終戦と本土決戦による米軍100万人の戦死を防ぐため」という論理が定着し、原爆投下の正当性をアメリカ人は信じている。そして、ポツダム宣言という降伏勧告を事前に行ったが、「拒絶」したのは日本である、とするトルーマン大統領の言い訳がある。日米戦争末期において米軍の死傷者は急増し、フィリピン、硫黄島、沖縄と日本本土に近づくほど戦死者が多くなり、米国内での厭戦気運が高まっていたのは確かである。ちなみに第2次世界大戦中の米国の犠牲者は42万人。うち太平洋戦争では10万人の犠牲者が出ている。1945年沖縄戦以降、本土上陸作戦準備と並行して、米国の早期戦争終結に向けた取り組みが始まった。従来の都市爆撃に加えて、手段は次の3つであるとされた。


1,ソ連の対日参戦。

2,日本への降伏勧告、ポツダム宣言。

3,原爆による都市攻撃。


実は、この三項目は独立しているようで複雑に絡み合っている。


1,に関しては同年2月のヤルタ密約においてルーズベルトとスターリンの間で密約が結ばれた。

当時 ソ連はナチスとの戦いで2000万人を超える想像を絶する犠牲を出していた。ソ連は「日ソ中立条約」を結びヨーロッパとの両面戦争を避けてきた。ルーズベルトは極東における領土分割を約束してソ連の参戦を促した。スターリンはドイツ降伏3か月後を目途に参戦する約束をした。ドイツ降伏後は参戦準備のため参戦時期を8月15日以降としていた。日本は、4月に77歳の鈴木貫太郎が首相に指名される。5月7日のドイツ降伏後、まず中立国ソ連を介しての終戦工作が試みられた。天皇の親書をもって近衛文麿元首相がモスクワに講和交渉に行くという打診を駐ソ大使に行う。しかし ソ連側からの回答は全くなかった。ソ連は密約である対日参戦準備をすでに進めており仲介をするするつもりは全くなかった。スターリンはポツダム会議の最中、トルーマンに対して日本から講和仲介の申し入れがあることを暴露している。スターリンにしてみればここで仲介などすれば極東の利権が十分得られないと判断したと思われる。トルーマンも日本側の講和の打診を無視することを了解した。


2,のポツダム会議に関しては以前詳細を述べたのでここでは割愛する。ポツダム宣言の文言に関しては、先日のNHK「歴史秘話ヒストリア」で親日派のグルー駐日大使の宣言文草案が紹介されていた。その中に「戦後の政治体制は、立憲君主制も含む」として、日本の国体護持を担保する文言が含まれていたことが明らかにされた。彼はこの文言があれば日本政府は降伏勧告を早期にのむだろうと考えていた。しかし、実際のポツダム宣言では、対日強硬派のバーンズ国務長官により「米国世論が許さない」とし、この部分は削除された。結果、鈴木の「黙殺」発言につながる。また このポツダム会議の直前、スターリンがトルーマンを訪ね、8月15日に対日参戦を行う旨伝えている。ニューメキシコでの原爆実験が成功したことを聞いていたトルーマンは、この会議では終始ソ連に対し強気であったいう。かたやトルーマンから原爆実験成功の知らせを聞いたスターリンは対日宣戦を一日でも前倒しするように本国に催促している。ポツダム宣言の発表に際してトルーマンは「日本はこの宣言をのまないだろう」と日記に記している。アメリカはソ連抜きで、内容もソ連の了解無しにポツダム宣言を発してしまう。


3,原爆攻撃に関しては未だに機密事項が多いのと戦後書き換えられた歴史も多いので本当の歴史を知ることは難しい。当初のマンハッタン計画は、ナチスが先に核兵器を兵器化することを恐れて、亡命ユダヤ人技術者を中心に始まった巨大プロジェクトである。その予算は現在価値で20兆円とも言われる。原爆の原理は最初ドイツで発見され、世界中の科学者の知るところとなっていた。世界では兵器として実用化するかどうかの争いであった。しかし実用化には巨大な費用が必要であったので各国は開発を中止している。米国首脳部では兵器として開発が進んでいる以上、完成の暁には実戦で使用することが決まっていた。1945年7月16日ニューメキシコで実験に成功したのはプルトニューム型(爆縮型)原爆である。この方式の原爆は、ファットマンのニックネームで長崎に投下された。広島型原爆はウラン235の砲身型原爆と呼ばれ、60kgのウランが使われた。爆発したのはこのうち1kgとされる。すなわち原理が簡単で実験は不用であるが原料の使用効率が悪いとされる。

7月25日ポツダムにおいてトルーマンから原爆使用許可が出る。すでに日本の各都市はB-29による絨毯爆撃を受けて壊滅状態にあり、産業基盤の破壊という意味において原爆の都市爆撃という軍事的必要性は無かった。しかし、あえて空襲を避けた都市に原爆を投下していること、2種類の原子爆弾を投下していること、原爆投下のスケジュールがニューメキシコの原爆実験からたった20日後であったこと、全くの別部隊で極秘裏に実行されていること、投下の判断はマッカーサーには知らされず、一部の政治家だけで決定されていることなど考えると別の目的で焦って落としたことも考えられる。


以上3つの手段は「米国兵士100万人の犠牲を出さずに、速やかに戦争を終結させること」という目的には合致しない点が多い。以下の別の理由も考えられる。


1,米国は巨大な費用をかけて原子爆弾を完成させた。この力を誰よりも早く実戦実証し、米国が独占することで戦後の国際政治を有利に進めたい。特にソ連に対して、アジアでは米国が有利な占領政策を行いたい。ドイツ占領の二の舞は踏みたくない。原爆攻撃の効果をはっきり見せしめるために破壊されていない都市部への爆撃とし、これを無通告で行う事とする。また 原爆の威力を測定する為には、無人地域への威嚇攻撃ではなく実際の都市攻撃が必要である。


2,ソ連との間で対日参戦の密約を行ったが、原爆を持った米国は単独でも日本を降伏させることができる。ソ連が参戦する前に原子爆弾の脅威を見せつけ、日本を降伏に持ち込むことにする。原爆実戦使用を行うことで戦後ソ連に対して有利な地位を得ることができる。ただし日本にはそれまで降伏されては困る。日本がソ連に講和条約仲介の打診を行っていることは日本の暗号解読で事前に知っているが、それに乗るわけにはいかない。簡単に終戦になっては困るのだ。そのためポツダム宣言はソ連抜きで、日本をして簡単に容認できない内容で突きつける。


3,ソ連にとってみれば、終戦前に一日でも早く対日参戦し、日本の領土を実効支配することが戦後のアジアにおけるソ連のプレゼンスを上げることだ。スターリンは原爆実験成功の情報を事前にスパイから得ていたことがわかっている。現にソ連の満州侵攻の実行は8月15日であった計画が一週間早められ、8月8日となっている。この参戦時点で ソ連抜きで決められたポツダム宣言に参加している。しかしソ連軍は8月14日の日本の宣言受諾を知っても侵攻を止めず、9月5日まで軍事進攻を続け、満州、朝鮮半島、現在の北方領土を実効支配する。トルーマンのソ連への制止申し入れにより侵攻を止めたのである。現在に至っても日ソの間で領土問題が存在する所以である。ソ連はポツダム宣言にも違反している。


残念ながら、以上3つの説明のほうが歴史的事実とよく合致するのである。


日本との終戦に関しては目的の一つにすぎず以下の点がより重要と考えていた。

1,予想される戦後の米ソ対立を睨んで、米ソがそれぞれ有利な状態で戦争終結を行うことを望んでいた。

2,米国は原子爆弾の威力を実戦使用で証明することが戦後政策を有利に進めると考えていた。戦後、米国は核兵器を独占管理したかった。

3,ソ連は日ソ中立条約を破ってでも早期に日本に軍事侵攻を行い、極東での実効支配地域を得たかった。

4,米ソともに日本支配には「無条件降伏」しか選択肢はないと考えていた。日本のソ連への講和仲介打診は無視された。


 1949年にソ連も原爆実験に成功している。しかしこれはマンハッタン計画に参加していた科学者がニューメキシコで成功した核の爆縮技術をソ連に伝えたことが後に分かっている。彼の言い分では「アメリカの核の独占では世界の平和が保たれない。ソ連も核を持つことで初めて均衡が図られ核抑止力が働くのだ」と言っている。また ソ連のスパイとして戦後初の民間人死刑に処せられたローゼンバーグ夫婦も有名である。こうして4年で米国の核独占体制は崩れた。その後、予言通り冷戦時の米ソの核開発競争はおそろく拡大した。そして、「核による恐怖の均衡」が両陣営の全面戦争、すなわち地球の破壊を防いだともいえる。当時2大国だけだった核の保有国も、英仏中に広がり、その後インド、パキスタン、北朝鮮と拡散していく。イスラエルやイランなど核兵器の保有が疑われる国家も多い。広島、長崎の悲劇は歴史の正しい理解が進まない中で「核を保有すれば核攻撃されない。国際政治においても有利である。」というとんでもない核神話を生んでしまった。日本でさえ核保有論が存在する。しかし いつ この核の均衡が崩れるかわからない。核兵器使用の正当性を叫べば叫ぶほど世界に核を拡散させる結果になってしまったのである。歴史の歪曲ほど恐ろしいものはない。


 戦後70年を過ぎてもこれらの歴史を各国が客観的に見つめることは未だに難しい。しかし、SFではなく人類は滅亡に向かう臨界点に到達している。歴史そのものが終わるのである。


posted by kogame3 at 01:22| Comment(0) | 歴史認識