2015年09月02日

パンプキン爆弾

 アメリカ人の多くは、原爆投下は戦争を早期に終わらせるために必要なことだったと理解している。原爆投下により、日本本土上陸作戦を行わずに終戦を迎えられたことで、米軍兵士100万人の命と多くの日本人の命をも救ったと言うのである。ある種 功利主義的思考の極みであろう。


 滋賀県平和祈念館の戦争展を見学した。昭和20年7月24日、滋賀県大津市、今の東レの工場にパンプキン爆弾が投下され16名の方が亡くなり、数十名の負傷者が出た。現在身内がこの会社に勤めているのでちょっと気になって調べた。このパンプキン爆弾、実は長崎に落とされたプルトニューム型原爆の模擬爆弾であり、形、大きさ、重さが原爆と全く同じ様に作られている。重さは5tonもある。実際の原爆投下の前に投下訓練として50個が日本全国30都市に投下されている。プルトニューム型原爆は本当に爆発するのか、投下した飛行機は逃げられるのか念入りに実験されていたのである。パンプキン爆弾を投下したのはクロード・イーサリー機長のB-29 ストレート・フラッシュ号である。


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滋賀県平和記念館の展示

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パンプキン爆弾の模型 大津市歴史博物館より


 このクロード・イーサリーという男が興味深い。彼は太平洋戦争中の名パイロットとして名をはせていた。そして原爆投下チームの一員となる。パンプキン爆弾の投下実験にも参加し、7月20日には、福島県郡山市の攻撃に向かうが天候不良で爆弾が投下できなかった。テニアン島への帰還の道すがら、独断で東京に向かい、こともあろうか皇居にこの爆弾を落す。爆弾は的を外れて東京駅近くの橋に落ちた。それほど彼は目立ちがり屋で鼻息が荒い人間だったようだ。当時 皇居への爆撃は禁止されていたので、上官は彼をひどく叱責した。ただ 彼は腕のいいパイロットだったので軍法会議は免れた。しかし 広島への原爆投下は彼ではなく別のB-29、エノラゲイに決まった。8月6日、彼は広島原爆投下一時間前 広島市上空から気象観測を行っている。そして エノラゲイに向け「原爆投下可能」と打電する。


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広島に原爆を落としたB-29 エノラゲイ。米国ワシントン スミソニアン博物館で撮影

 戦後除隊した彼は、1960年 東京新聞のインタビューで「原爆投下は誤りであった」と発言し、謝罪している。原爆投下チームでただ一人原爆投下の過ちを認めた軍人であった。何が彼をそうさせたのだろうか。1946年、米国は南太平洋のビキニ環礁で戦後初の原爆実験を行っている。その爆弾は、3個目の原爆として東京に投下予定であったプルトニューム型原爆である。彼はその原爆実験に参加し放射能被曝をしてしまう。退役後、彼の妻が2度の流産をしたことで彼は自分が被曝したことを知る。そして 広島、長崎の被爆者の苦しみを身をもって知り、自分が犯した罪の意識にさいなまれる。妻と別れ、悪夢を見、酒におぼれる。最後は強盗事件を何度も起こし精神病院への入院を繰り返した。喉頭がんを発病し1978年に亡くなっている。彼は、「原爆投下は誤りであった。そして私もその被害者の一人である」と述べている。原爆投下の非を認めた唯一の原爆チームの米国軍人が、被曝し、精神と肉体を蝕まれたというのは皮肉でもある。国家のエゴは敵味方なく個人生活を破壊する。


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ビキニ原爆実験。原爆の威力測定のため、旧日本軍の戦艦などが集められ爆破されている。WIKIより。
posted by kogame3 at 01:18| Comment(0) | 歴史認識
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