2015年04月27日

ユング

私がはじめてユング心理学に触れたのはもう20年ほど前になる。ユング心理学は河合隼雄さんによって広く日本に紹介された。最初、私にとってユング心理学は全く理解不能だった。当時、私は−物事はすべて原因と結果の因果律で成り立っている−という思考に支配されていた。科学的に物事を見ることがすべてであり、そうでないものは排除されるべきであると考えていた。会社員であった私は、物事があまりに非論理的に決定されていく状態に憤りさえ覚えていた。かたや、自分の感情がどこから来ているものか自分自身でもよくわからないと感じていた。怒りや喜び、悲しみや楽しみの感情はどこから湧いてくるのか、因果律を見いだせずにいた。喜怒哀楽といった感情は、何かのきっかけで心の底から意識の世界に突然出現するのだ。後から、この感情の出現をこのきっかけのせいに作り変えているだけだ。その証拠に、同じ事象がおこっても腹の立つとき立たないときがある。体感的には、空中をさまよっているそれらの感情が突然自分に取り付くという感覚がある。まあ こっちの方がより非科学的だ。こんなふうにして、フロイト心理学を経て、ユングの世界を徐々に理解していった。心の構造図はいかにも自然科学的な理解の仕方だが、その辺は西洋人的でもある。こういう図で、心の働きを理解すれば多くの現象が説明しやすいということだろう。


ユング心の図.jpg


ユングのすごいところは、人間の心に共通に存在するとした「普遍的無意識」の提唱だろう。人間は、みんな人類共通の無意識を持っているとすることだ。そして、この普遍的無意識は、空間を超え人々のこころの中で共鳴しているということだ。これをユングは「シンクロニシティー」(synchronicity)と呼んだ。離れた場所で、同じ時間に、自然科学的には「偶然」同じことや意味がつながっていることが起こる。そして、それは何らかの意味を暗示している。すくなくとも、多くの人々の心の中で同時に同じ感情が湧く。一つの証拠として世界中に伝わる神話は地域間に文化的交流がなくても非常に似た内容がある。形を変え同じような深い意味が内在されている。としている。にわかには信じがたい話ではある。しかし、人々の感情がどこから来ているかわからない現在、これも仮説の一つとして受け入れざるを得ない。 


前回のブログで私は戦争発生のメカニズムを述べた。「恐怖」や「怒り」といった無意識の中の「闇」の部分が為政者により扇動され、それが社会の中で共鳴(シンクロナイズ)するとき戦争が勃発するとした。ユングもヒットラーのユダヤ人迫害を同じ論理で分析している。太平洋戦争でも日米の為政者やマスコミの扇動により同じことが起こったのだろう。国内問題が大きくなり自らの政治生命が脅かされるときに、為政者は同じテクニックを使う。現在起こっている中国の日本バッシングは、中国政府が、天安門事件で民衆を弾圧した時から急速に強化された。韓国の経済格差は深刻で、国内民衆の不安は強い。アジア通貨危機を境として急速に日本の戦争犯罪を糾弾する論調が強まる。最近ではギリシャの債務問題がある。ギリシャ政府は大変な緊縮財政を国民に課している。民衆の不満は爆発寸前だ。ギリシャは突然ナチスによる70年以上前の戦争被害への賠償金36兆円を現在のドイツ政府に要求した。これらの事例に共通するのは、自国民の政権への不満、怒りを、他国民(この場合では日本)に転嫁するとういう政治手法が取られたと考えられる。このようなスケープゴートを作ることにより、怒りの矛先が自らの政権に向かうのをかわし、国家をまとめるエネルギーに変換するのである。日本はこの挑発にのってはいけない。飽くまでこれは危険な政治ゲームなのである。ただしこれは日本の犯した戦争犯罪が免罪されるという話では決してない。


『利己的な遺伝子』(ドーキンス)によると、遺伝子には、「自己の成功率(生存と繁殖率)を他者よりも高めること」というプログラムが書き込まれている。人間の肉体は、この遺伝子情報に支配され、思考や行動が決定される。としている。この本は、多大な動物生態のデータをもとに書かれており、きわめて科学的な分析と論理で構成されている。遺伝子情報は、細胞分裂するときにDNAがコピーされ、過去から未来へとこの情報が引き継がれていく。コピーミスが奇形を発生させ、自然淘汰のスクリーニングにより進化が生まれる。人間の営みが遺伝子情報という無形のものに支配されていることが証明された。


私は 次のような大胆な仮説を持っている。人間の思考、行動の多くを司っているのは「無意識」から湧き上がる感情である。すなわちユングが提唱した普遍的無意識とは、人類が太古の遺伝子情報から受け継いできた「自己の生存確率を高める」プログラムのことではないだろうか。そして、言葉のまだない原始時代に、人々はこの普遍的無意識という経路を通してコミュニケーションをはかっていたのではないだろうか。人類の遺伝子はかなり類似している。肉体が同じ構造をしているように心の構造も細部まで似ていても不思議ではない。ゆえに非言語的なコミュニケーションは取りやすい。感情の発露である顔の表情は、一つの非言語コミュニケーション手段だが、それは世界人類おんなじだ。個々の人間が持つ遺伝子情報は、よく似ており、集団で共鳴する性質を持っている可能性はある。


最後に 私が尊敬する哲学者の池田晶子さんが、中学3年生向けの国語教科書に書かれた『言葉の力』からの一節を引用する。

−人間が言葉を話しているのではない。言葉が人間によって話しているのだ。−

この強烈なメッセージに対し、多くの共感とともに批判も相次いだ。しかし、批判の多くは物事を単純な因果律の中に押し込めようとし、自分の理解できない事象に対して排除しようとしている輩だ。彼らの貧弱な精神こそ戦争の温床であろう。遺伝子が人間をして言葉を語らしむのではないだろうか。


posted by kogame3 at 13:01| Comment(3) | 日記
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