2015年04月10日

戦争に関する考察

 天皇陛下ご夫妻がパラオのペリリュー島を戦没者慰霊のため訪問された。この慰霊の旅はご自身で強く希望されたという。ペリリュー島は太平洋戦争の激戦地で日本軍兵士は10695名が戦死、米軍は1794名が戦死している。(wikiのデータより)日本軍の生存者がたった34名とあるから、この島での戦いが如何に凄惨であったかを思い知ることができる。日本軍1万人強に対して米軍5万人近くが襲いかかった。兵力で5倍、火力では数百倍の差があったとされている。日本軍は、徹底したゲリラ戦法で予想以上に持ちこたえた。当初米軍はこの島は2、3日で陥落させられると思っていたところ、日本軍の徹底抗戦で陥落に2か月半もかかっている。日本軍は、玉砕命令を受け最後まで戦うのだが、兵隊の恐怖は大変なものであったと思う。日本軍は太平洋戦争において、アッツ島を始めとして太平洋全域の島々でつぎつぎと玉砕している。日本軍はなんでそこまで人命を軽視したのか、このことに対してまだ私は納得を得た理解はできていない。ご高齢をおしての熱帯の島への旅、両陛下の祈りは、戦没者への慰霊とともに二度とこのような戦争が起きないよう、平和への願いを国民に向け呼びかけられたものと理解すべきであろう。


 私は、過去の戦争に関していろいろ調べてはいる。未だに国際紛争の解決に戦争という手段がまかりとおり、軍事力の空白が新たな紛争の原因であるという説明がなされることが多い。テロ集団ISをここまではびこらせたのは、米軍の中東からの撤退が原因、中国の海洋進出もフィリピンからの米軍基地の撤廃が原因とされる。ロシアのウクライナ侵攻もウクライナが東西どちらにも与しない軍事的な空白地帯となった。ロシアは、ウクライナが次にNATOに加盟するのではないか、この地域が西側陣営に軍事的に組み込まれてしまうことへの恐怖から今回の軍事侵攻に出たとの見方もある。戦後70年が経過し、日本はこの間一度も軍事力を使ったことのない国家である。このことは名誉なことではある。しかし、この平和は東西冷戦のパワーバランス、日米安保による米軍の抑止力と核の傘に護られたためとされる理解が一般的だ。東西冷戦が終結し、世界はやっと平和になったと世界中が思った矢先に中東を始め世界各地で戦争や内戦が勃発したのは記憶に新しい。戦争をこのようなパワーバランスの崩れとみる視点は、「地政学」と呼ばれる。しかし、地政学では なぜ軍事バランスが崩れると暴力がはびこり、戦争が起こるのかは教えてくれない。世界は、軍事力とそれによる抑止力すなわち軍事パワーのバランスで成り立っているということが前提になっている。地政学はある種「紙の上での戦争論」である。そこには、軍隊が持つ暴力性や残虐性、血のにおいがない。後ろめたさもない。戦争のリアリティーが無い。片や 護憲派と呼ばれる左系の人も「憲法9条が日本を護った。」といった抽象論が多く、現実的な戦争抑止の方法論を提示できていない。両者抽象論をぶつけ合っても答えが得られないようにも感じる。


 しかし、個々の戦闘や戦争による残虐行為、その現場の状況を知るにつれ、戦争を単なるパワーバランスの崩れといった表現では理解できない、何か人間の持つ本質的な暗部、暴力性が浮かび上がる。よく知られているホロコースト、『シンドラーのリスト』や短編ドキュメント映画『夜と霧』を見たときの衝撃。中学校の図書館で見た本多勝一氏の『中国の日本軍』の恐怖。(右翼系からはこの本はでっち上げだとされている)遠藤周作氏の『海と毒草』は、戦中 九州大学で行われた米軍捕虜の生体解剖事件を描いている。森村誠一氏の『悪魔の飽食』。これも満州での日本軍細菌部隊による人体実験を描いている。(この本も右翼系からでっち上げとされる)広島の原爆記念館でみた放射能で脊椎がボロボロになって亡くなった少女の標本。ポルポト派によるカンボジア内戦時の虐殺を描いた『キーリング フィールド』。どれも 人間の仕業であることが信じ難く、深い悲しみとともに人間であることが悲しくさえ思えてくる。まだまだ ここに書ききれないほど戦争のリアリティーが世界中にあふれている。人間の尊厳、人間の命がここまで踏みにじられた現実がある。これらの戦争歴史事件の背後に共通してあるものは、紙の上での戦争論、パワーバランス論ではない。人間の持つ本質的な闇の部分、暴力性だ。そこに メスを入れないと戦争はなくならないのではないかと思う。


 最近、村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ。この本は、人間の持っている心の闇、暴力性を題材としている。反戦を主題にしている本ではない。特に一巻の終わりに描かれている日本人への拷問、虐殺シーンは読むにたえない。吐き気を覚え、夢に出てきて、うなされるような恐怖に襲われる。このシーンを読んだ後、私は数日間よく眠れなかった。戦争を紙の上での抽象論でしか語れない人にはぜひ読んでいただきたい一冊だ。この本を読んでいて、私自身が近代史や戦争史の研究にのめりこんでいく理由、動機に気付けた。それは、人間の持つ闇の部分、残虐性から来るものだ。そして戦争が人類社会から無くならない一因は、ここにある。そのような確信が持てた。たぶん私の中にもその残虐性があるのだろう。
 沖縄ひめゆり部隊の生き残りの方が、その戦争体験を語り継いでいる。もう高齢で、定期的な講演は体力的にできないようだ。最近若い人の講演感想メッセージに、「なんだかんだ言っても戦争は所詮なくならないじゃないか、、」といったものが増えているようだ。戦争体験のリアリティーを感じられない感性の低さは残念なことだ。この先、暴力に支配された歴史が繰り返されないことを願う。人間は自らの内面に暴力的なものを内在しているという自覚を持たねばならない。暴力性が人間の性だとすれば、それをのりこえ、コントロールする方法論こそ人類最大の智慧であろう。

posted by kogame3 at 12:55| Comment(0) | 歴史認識
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