2015年12月29日

トミーカイラZZ

京都 宇治にあるGLMを訪問した。あのトミーカイラZZの電気自動車版を造っておられるベンチャー企業だ。
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今時若い人が集まって、電気自動車開発に人生を賭けている。なにか シンパシーを感じる。

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若い時しかできない冒険だ。

もの造り日本の将来も捨てたもんじゃない。

親切に対応してくださったGLMの方に感謝申し上げます。
posted by kogame3 at 00:25| Comment(0) | 改造電気自動車W140

2015年12月09日

下町ロケット

 ドラマ「下町ロケット」が大好評である。JAXAでロケットの打ち上げに失敗した男が責任をとって退職し親の町工場を継ぐ。そこで技術や技能を大切にした経営手腕で大手メーカー以上の品質のロケット部品を完成させ夢を叶えるという物語だ。決して経営的には裕福ではないが技術や技能を大切にした町工場、会社の危機をチームワークで乗り切るという日本的なマインドも見逃せない。そのものづくり力で宇宙開発の世界や医療技術の世界にのりだすという胸のすくようなストーリー展開が日本人の心を打つ。

 リーマンショック以降、日本の技術者たちは文屋さんの経営者にさんざん煙たがられ、冷や飯を食わされた人も多かったのではないだろうか。日本の技術者はかわいそうだ。どんな立派な発明も、どんなすごい職人技も経営者には処遇ではかなわない。そこには、ビジネスというものが分かるか分からないか、リスクを取れるか取れないかという大きな壁がある。日本では、顧客志向という概念が技術者や職人を「ひとりよがり」な無能者として断罪した。結果、日本では技術者やブルーカラーの処遇は驚くほど低い。そんな冷遇された技術者が韓国や中国の企業にヘットハンティングされ、本家の家業を脅かす存在になってしまった。かつては半導体製造で、昨今では液晶や家電業界で、日本のお家芸だったものづくりの優位性はすっかり海外流出してしまったようだ。日本では子供たちの理科離れも言われて久しい。いまの子供たちの夢はパイロットや宇宙飛行士、科学者になることではないらしい。

 日本よりも前から「ものつくり大国」だったアメリカは今や知識集約的な産業立国に脱皮し成功を勝ち得ている。西海岸では世界中から天才たちが集い、知的パワーで世界を動かしている感じさえする。待遇も半端なく高い。技術者はお医者さんかそれ以上の待遇だ。とにかく知識というものの価値を正確にとられ、それを思う存分駆使している感じがする。かたや日本の後をものすごいスピードで追ってきた中国はここにきて人件費の高騰とオリジナルな技術力のなさから成長の鈍化が明白で、急速に「世界の工場」からの脱皮をはかろうとしている。

 さて この先日本の選択はどうするのか。世界の中でどんなポジションを取ろうとするのか。人口減少、労働力減少ひいては国力低下が必至とされる日本はどんなシナリオを描くのか。「下町ロケット」やJAXAの活躍など、最近は日本の技術力を鼓舞するような論調も目立つ。しかし 地域社会の崩壊や高齢者の不幸などを目にするとなんともやりきれない気分だ。どこもかしこも閉塞感が漂っている。子供の教育を考えるととんでもなく資金が必要で、とても多くの子供をもうけることすらできない。人権に配慮は必要だが、この国家的危機の共有化ができていないようにも思う。人口減少により国力が低下し、国家の基幹システムさえうまく機能しなくなってくる。公的債務は天文学的な数字に膨れ上がっている。国力が低下すればおのずと安全保障上のリスクも高まる。
 口先だけの商売人だらけでは国家はやっていけない。日本人の知恵と技で「技術立国日本」を再興できないだろうか。
posted by kogame3 at 17:54| Comment(0) | 日記

2015年12月03日

僕はなぜBeatelsが好きなのか?

 僕が中学一年の時 うちにはレコードを再生するプレーヤーがなかった。貧乏だったのだ。1971年のことだ。テレビでは東芝BostoneのステレオのCMになんとBeatlesの「Let It Be」の画像が流れた。僕はしびれた。僕の友達に増せたやつがいて彼は近所のレコード屋でBeatlesの[Let It Be」のシングルレコードを買った。僕とBeatlesの初めての出会いだった。彼の家でBeatlesを何度も聴いて何度も感動した。当時僕は自分で作ったラジオでAMやFMから流れる音楽を夜遅くまで聴いていた。そんな僕を見ていたのか、しばらくして親父が小さなレコードプレーヤーを買ってくれた。(その後 父親が買ってくれたのは、ピンカラトリオの「女の道」とちあきなおみの「喝采」のレコードだけだった。)でも僕はうれしかった。おこずかいを貯めて、すぐに「Let It be」のシングルを買った。よく響く家のお風呂場にプレーヤーを持ち込み擦り切れるまでレコードを聴いた。そのあとも Baetlesのレコードを買った。Hey Jude、Yestaday・・・。でも当時既にBeatlesはもう解散していたんだね。

 同じ年 NHKで「70年代われらの世代」って番組があった。「自由、戦争、エネルギー、公害、SEXなど社会問題、国際問題」がテーマだった。今から思えば革新的な番組だったと思う。今のNHKは見習ってほしい。当時はベトナム戦争が当たり前のようにあって、この先世界はどうなるのだろうって時代だったと思う。この番組のなかで悲惨な戦争を論じながら画像のバックに流れていたのがJoneの「Imagine」だった。子供ながら なんと 心うずく曲なんだと思った。涙が出そうになった。NHKの解説者が「このビートルズの曲のように本当に世界が平和に暮らせる日が来るのでしょうか?」と番組を締めくくった。僕はその日からJoneのファンになった。中学校時代のおこずかいはすべてBeatlesのレコードの購入に充てた。

 高校時代は、当然音楽にはまった。ブラスバンド部に入った。Beatlesの曲を演奏するのが楽しかった。時代はフォークソング全盛時代だったので僕はちょとずれていた。でも友達にはBetlesが好きなやつもいて結構楽しかった。そして衝撃の1980年。 JoneがNYにて撃たれて死んだ。僕は大学生になっていた。食堂で聞いたそのニュースは、僕の中で一つの時代が終わったのだと思い知らされた。

 時は過ぎ、ジョージハリスンが癌で逝き、僕はアメリカに住んでいた。アメリカのスーパーマーケットで買い物をしていると、たまにBeatlesの曲がかかる。そこでは奇妙な光景が現れる。年配の人たちが買い物を忘れ、曲に合わせその場で踊っているのだ。アメリカではBaetlesが活きていたんだと思った。若い人も踊らないまでも体がのっている。戦争をやっている国とBeatlesは共存するのだろうか。少なくともアメリカでは両者にリアリティはあるかな。
 もう一つエピソードを。会社で僕の隣に座っていたインド人技術者は、若いのにBeatlesファンだった。なぜかなと思って聞いてみると、彼の叔父さんは、なんと1967年にBeatlesがインドを訪問した時に彼らに直接、あったそうだ。そしてファンになった。彼の叔父さんは、Beatlesのレコードをいっぱい買い、彼に聴かせた。そして彼はBeatlesファンになった。当然彼と僕とは意気投合した。
ポールは今でもカリフォルニアには2年に一度は来るそうだ。 彼は欠かさずコンサートに駆けつける。若い女性技術者も同じようにファンなのでびっくりした。私がニューヨークに行ったとき絶対に行かなければならないと思ったのは、Jonが撃たれた、セントラルパークとダコダハウスだった。53歳でここにやっと来れたと思った。一生来れないかとも思っていた。ここに来れた僕は幸せ者だ。セントラルパークにあるストロベリーフォーエバーという広場は静粛な場所だった。Batlesの曲を静かに奏でるギターの演奏者がいて、そこに居るみんなが心を鎮めていた。不思議な空間だった。

 僕の人生でBetlesは特別な存在だ。カラオケに行けばまずJoneの「Woman」を歌う。他人の評価はどうでもいい。それは僕にとって儀式であり、礼儀でもある。歌って自分の存在を確かめる。僕が僕である証拠を確かめる。気分が落ち込んだ時はBeatlesを聴くようにしている。彼らは今でも僕に叫んでくれる。「気楽に生きろよ!どうにかなるさ!」ってね。



posted by kogame3 at 01:50| Comment(0) | 日記