2015年07月26日

歴史認識問題 国共内戦 朝鮮戦争

 戦後70年の節目の年、総理大臣談話が世界の注目を集める。戦後70年経っても中国や韓国と日本の間の歴史認識は相違したままであり、近年の政治状況において、その認識のずれが拡大しているようにも思える。歴史認識問題がここまでこじれる理由が日本人にはよく理解できず、戸惑いを隠せない。現在の中国と韓国において、日本の植民地時代や戦争の記憶は、日本人のそれとは何か根本的な違いがあるようにも思える。太平洋戦争中、朝鮮半島は大日本帝国に併合されていたので当然韓国と日本は直接戦争をしていない。また 中国戦線では主に日本と戦ったのは蒋介石国民党軍(現在の台湾政府)である。その下で、共産党軍(八路軍)は抗日ゲリラ戦を行い日本軍と戦っている。現在の共産党政府の中華人民共和国は中国内戦後に建国されたものである。日本が終戦後の混乱にあえいでいる時、これらの国々は大きな戦争、内戦を経験している。そのことを踏まえて歴史認識を考える必要がありそうである。


 第2次大戦後1946年に中国は再び国共内戦におちいり、1949年毛沢東率いる共産軍が大陸を占領し中華人民共和国の建国を北京で宣言している。共産党軍は、ソ連から旧満州の利権を譲渡されその工業力で軍備を揃えた。また、シベリア抑留捕虜となった日本軍の兵器も使えた。ソ連の軍事支援も受けている。共産軍は民衆の多くを味方につけることもできた。かたや日中戦争中 米国から大きな支援を受けていた蒋介石軍は、戦後その支援を受けられなくなり急速に弱体化する。米国により内戦を調停されたが、蒋介石はこれに従わなかったためである。結局 蒋介石は共産軍に追われ台湾に逃れた。当時まで米国はアジアでの共産主義の拡大の脅威を本気で警戒していなかったようである。この判断ミスは、近現代史におけるアメリカ最大のミスとされる。とにかく、現在の共産党政権は、日本と戦って勝利した蒋介石軍を内戦により駆逐した政権なのである。


 朝鮮半島においては、日本軍が去った後、38度線を境に北部がソ連、南部がアメリカの信託統治となり 1948年それぞれ朝鮮人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の建国を宣言する。大韓民国の初代大統領は李承晩である。彼は抗日活動家ではあるが、1919年日本統治下においては上海において臨時政府を立ち上げ大統領に就任。その後 解任され親米派としてハワイに在住する。朝鮮半島において抗日独立運動をしたわけではない。戦後米国の力を得てハワイから朝鮮半島に移り大韓民国の建国に貢献する。1950年に北朝鮮軍(金日成)が突然国境を越えて侵攻をはじめ朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮軍は、日本統治下時代の工業力を背景に優勢に進軍し朝鮮半島南端まで攻め込む。米国は慌てて国連軍を組織しマッカーサーを最高指揮官とし、韓国を支援し仁川上陸作戦を成功させ攻勢に転ずる。国連軍は中国国境まで押し戻したとことで、大規模な中国義勇軍(共産軍)の反撃に合い、またもや38度線付近まで押し戻される。北側にはソ連の武器支援も加勢した。膠着状態が続き、マッカーサーは、中国満州地方への原爆攻撃と蒋介石軍の参戦を主張した。しかし、第3次世界大戦を危惧したトルーマン大統領により解任されている。1953年の停戦協定までの3年間、朝鮮半島では酷い地上戦が行われ、おびただしい数の市民が亡くなっている。正確な数字は不明であるが、この3年間で350万人(国民の1/7)が亡くなっているとする報告もある。太平洋戦争中は、朝鮮半島は米軍の攻撃が少なかっただけに、その被害と比べると朝鮮戦争の被害はあまりに甚大である。


 両政府の成り立ちと日本との関係は一見希薄なように見える。しかし その成り立ちの中において、太平洋戦争中の抗日的な姿勢が共通項として浮かび上がる。そして 両国とも建国前後に悲惨で大きな戦争、内戦を経験している。毛沢東は蒋介石と、李承晩は金日成という同一民族と戦って建国ができた歴史がある。ここで注意しなければならないのは、毛沢東も李承晩も太平洋戦争中日本軍と直接戦って独立を勝ち取った訳ではないのである。そして 現在もなお、どちらも相手を滅ぼしたわけではなく休戦状態となっているだけである。38度線や台湾海峡では内戦後も武力衝突が続いた。ちなみに蒋介石は日本軍国主義と8年にわたり戦い、ポツダム宣言を突き付け、勝利した政権である。金日成は抗日パルチザンとして旧満州で日本軍とゲリラ戦を戦った歴史のある政権である。すなわち、現中国と韓国は自分たちの国家の出自に「負い目」があり、政権の正当性、道徳的正当性を常に国際社会に訴え続けなければ国民や世界は納得しない宿命があるわけである。その道徳的正当性の「根拠」におかれたのが希薄ではあるが「日本の軍国主義」との対立の歴史である。または、非人道的な非植民地支配を受けたという歴史である。


 日本は戦後時間がたってから両国と(平和?)条約を結び、多大な経済支援を行ってきた。そのことを日本国民はよく知っている。その支援をもとに両国とも大きな経済発展を遂げた。あまりに急速な経済成長に経済格差が発生し、両国ともその国内的な歪に苦しんでいる。近年は、国内問題の鎮静化にも仮想敵国としての「軍国主義日本、非人道的な植民地支配」が使われだした。


 このいう視点で見ると、常に自らの政権の脆弱性を意識している彼らは、常に日本バッシングを続けなければ存続しえない政府なのであることが理解できる。「日本が太平洋戦争を侵略戦争ではない、すくなくとも現在の共産中国、戦後成立した韓国に対しては侵略行為や植民地支配はしていない」という歴史認識が通れば中国も韓国もその存立の正当性を疑われる。韓国においては、戦争継続中の北朝鮮指導者「金日成」こそが抗日パルチザンであり、朝鮮統一の正当性がある政権だとなれば大変なことだ。国家の存亡にかかわる問題である。中国とて同じである。中国を日本軍より開放したのは蒋介石であるからだ。日本はそのことを理解した上で歴史認識問題に取り組まなければならない。東南アジアの国々も同じ論理が成り立つ政権はあるが、現政権が少なくとも日本軍、日本支配からの解放勢力と軍事対立しているわけではない。歴史認識問題はかように今日的な政治問題なのである。政治問題である以上感情的な対応は解決にならないし、いくら客観的史実を積み上げても彼らは納得しない。彼らの真の目的は「国家存立の道徳的正当性」を高め維持していくことであるからだ。


 蛇足ではあるが、戦後の歴史をたどると、日本が中国東北部(満州)や朝鮮半島を支配した事実、その影響は日本人が想像する以上に大きいことがわかる。旧満州の工業力は、終戦後 ソ連から毛沢東共産軍に引き継がれ中国の共産化の原動力となっている。また その力は、朝鮮戦争でも発揮し中国義勇軍の戦力となる。マッカーサーをして数十発の原爆攻撃を進言させたほどである。また朝鮮併合時代の北朝鮮の工業力は朝鮮戦争でその威力を見せつける。彼らは日本支配下の工業的遺産でその後の戦争を戦ったのである。もともとロシアの南下を恐れ、アジアの共産化を防ぐ防共の砦として築かれたこれらの工業地帯は太平洋戦争後、共産軍の手に渡り 将棋の駒のように「成金」になってしまった。北東アジアがあっと言う間に共産化するのも無理のない話ではある。戦後日本人はそのことを忘れてしまっている。いや 戦後占領政策の中で教科書から削除されている。中国や韓国の成立の歴史をたどれば、戦前の日本支配地域における工業力を過小評価せざるを得ないからである。彼らにとって日本の支配とは、飽くまで搾取され続けた植民地支配の歴史であり、産業遺産などあっては困るのである。戦後70年が経ち、中国共産主義の膨張が現実のものとなり、地政学リスクが懸念されているのは歴史の皮肉でもある。


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2015年07月20日

安保法制の論点

 安全保障関連法案が衆院を通過した。数に勝る与党はこのまま参院に送り、そこで可決できなくとも60日ルールで衆院で再可決、自動成立する。国民の多くが議論が足らない、理解が深まっていないとし、安倍首相もそのことを認めている。


 この議論の論点はいったいどこにあるのか国民には分かりにくい。与野党の議論を聞いていても違憲合憲の議論や徴兵制の導入、具体的な軍事力行使の事例を巡っての議論が多い。法案は違憲だとする憲法学者の中には、護憲派から再軍備推進派の人までいるので話をより分かりにくくしている。与野党とも戦争抑止、平和維持のために議論をしているとしている。究極の目的は双方同じはずである。


私は根本的な論点は以下の2点に集約されると思っている。


@軍事力の均衡が国家間に平和をもたらすのか否か。

 安倍政権はパワーポリティクスが国際政治を支配していることを前提として議論をしている。かたやリベラル派は、それを否定し、飽くまで非軍事的手法でもって平和を守ろうとする。平和は憲法9条により護られてきたとする。お互いにその本音を明かさない。これでは根本的な世界観が違いすぎ議論にならないのは当然だ。野党が主張する非軍事的手法の具体的施策が提示できていない点も問題だ。中国や北朝鮮の脅威に対してどのようにして非軍事的に対峙するのか。かたや、同盟国米国追従路線こそが積極的平和主義だとする与党陣営。しかし、第2次世界大戦後の大きな戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などすべてアメリカ軍が戦争をしていることは明白な事実だ。またアメリカがいつも正義の戦争をしているとは限らない。日本は、世界の未来をどう見るのか。ここの意見の一致を見ないと議論は物別れのままだ。国民もよくわからないままに重要なことが決められていく。


A過去の歴史認識をどうするのか。日本は間違った戦争をしたのか否か。

 安倍首相のお祖父さんは岸信介である。彼は「昭和の妖怪」と呼ばれた戦中、戦後の大物政治家である。戦前は官僚として満州国経営に辣腕を振るい、東条内閣では、商工大臣として戦時経済を取り仕切る。3年の巣鴨への投獄を経験した後、首相となり1960年日米安保条約を改正し翌日辞任した。戦後は、「日本の戦争は侵略戦争ではない。間違った歴史観を後世に残さないことが自分の使命」とし、自主憲法制定を悲願としていた。この志向は、安倍首相にそっくり受け継がれていると考えられる。

 米国の一部メディアでは安倍首相を「歴史修正主義者」とする声もある。リベラル派は、日本は過去、間違った侵略戦争を行い、アジアに多大な迷惑をかけた歴史があるとする。この間違った歴史を再び繰り返さないという意識が強い。戦後日本のマスメディアや教育の現場では主にこちらの歴史認識が定着した。この歴史観は、連合国により、まずポツダム宣言に織り込まれ、日本はこれを受諾し降伏した。これに基づき東京裁判で実際に「平和に対する罪」として戦中の為政者や軍人が裁かれている。1951年のサンフランシスコ講和条約では、この判決を日本は正式に受け入れ独立している。戦後の国連=連合国支配体制はこの上に築かれている。与野党のこの歴史認識の違いが安保法制議論にも深く影を落とす。安倍首相の言う「普通の国」という意味が双方で全く違っているのだ。


 今回の安保法制議論は政治家が政治生命をかけて行ってほしい。ポツダム宣言受諾を決定した1945年8月14日の御前会議で阿南陸軍大臣が天皇に向かって最後の意見を述べている。「本土決戦をおこなう覚悟である。大和民族は全滅して歴史にその存在を残すことこそ民族の本懐である」とする意見である。阿南の発言は、戦中の狂信的な軍国思想の権化という評価もある。今から見ればなんとクレージーな意見と思われるが、彼はポツダム宣言を日本の歴史を歪曲するものとして捉えている点に注目したい。彼は、宣言受諾の意見の対立に辞職することなく、最後は聖断に従いポツダム宣言受諾の議決に署名している。そして、8月15日一切の責任を取り自決した。血気に逸る陸軍将校たちも彼の自決に衝撃を受け一気に沈静化したという。彼がもし内閣を辞職していれば内閣は崩壊し、日本は軍政となり本土決戦、米軍とのゲリラ戦に突入したと考えられる。原爆攻撃も続いたであろう。阿南の言動の是非はともかく、政治家はそのぐらいの気概をもって本音で議論してほしい。


posted by kogame3 at 21:27| Comment(0) | 歴史認識

2015年07月17日

英霊に対する冒涜 歴史修正

 靖国神社は、日本という国家に命をささげた兵士の魂を祀っている神社である。米国でいえばワシントンのアーリントン墓地にあたる。だから、後の世の国家元首や政治家、天皇が参拝するのは当然のことだという論がある。軍隊こそが国家の中心的存在であり兵士は英雄でなければならない。パワーポリティクス、すなわち力が支配する国際政治において、もう日本も「普通の国家」として現実に即した軍事的抑止力を持たねばならない時代だという。力のバランスこそが戦争を抑止する策だという。


 太平洋戦争は、日本が列強による経済封鎖に合い、自存自衛のために始めた戦争であった。また列強による植民地支配に苦しむアジアの国々を開放する正義の戦争でもあった。太平洋戦争開戦当時の日本を取り巻く状況は、現在の安倍首相が言うところの、自衛隊が外国で戦闘行為を行う条件、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があると認められる場合」に十分値すると考えられる。


 しかし、日本は戦争に負けた。負けた途端それまでの価値観は180度転換し、英霊は侵略者となる。自存自衛のため、国家のため、家族のため命をささげた人たちは、「世界征服を企て、実行した侵略者」となってしまった。これほど悔しい残念なことがあろうか。英霊に対する冒涜でもある。肉親を兵隊にとられたご遺族の心はいたたまれない。占領軍は東京裁判において、侵略は戦争指導者の責任であると断罪した。すなわち亡くなった多くの一般兵士は戦争指導者に扇動されたのだと。一般国民も侵略的戦争指導者の被害者であるとした。これで国民の屈辱は少し救われた。


 現実はどうだったのだろう。当時の為政者はちゃんと選挙で選ばれている。確かにテロをはじめ軍部の独走はあったが、マスコミは軍部や民衆に迎合し戦争を鼓舞した。教育者も軍国教育を行い子供たちを洗脳した。日本人は当時の日本国家が他の列強に比べ特別侵略的であるとは考えていなかった。日本は「普通の国」であり、周囲の列強こそが正義に反するとした。すなわち、多くの国民の支持がなければ「戦争指導者」は存在しえなかったのである。少数ではあったが確かに身を挺して戦争に反対した人々は存在した。しかし彼らを国民が支持することはなかった。


 私たちはこの歴史から何を学ぶのだろうか。それを 現在の国際政治にどう生かすのだろうか。現在いくら正当性をもって議論していることでも、戦争となると勝ち負けが明瞭となり、負ければ現在の論理はなんの意味もなく、正義もなく、戦争犯罪になってしまうのである。日本は力により屈服させられ、戦前の正義が修正させられた歴史を持つ国家なのである。いまだに勝ち負けと正邪が混同されるのが国際政治である。国家間で正義の定義が違うのだ。国家を超えて信じられているのは力、軍事力しかない。新安保法案は違憲か合憲か、テクニカルな議論も重要だが過去、歴史修正を受け入れた国家としてより本質的な議論をしてほしい。日本は、過去の歴史認識を踏まえ、パワーポリティクスとどう向き合うのかということだ。


 今の日本人に、この先戦死する自衛隊員に対し、再び「犯罪人の烙印」が押されることを許容できるのか?この問いは歪んでいるだろうか。想定ではなく現実に起こったことであり、今も日本はその精神的苦痛の中にいる。少なくとも過去の英霊に対して誰もが心置きなく参拝できるようにする政治力が必要だ。まず、その政治決着もつけられない政府、先の戦争の本当の総括もできない政府に現在の安保法制議論など語る資格などないと思う。


posted by kogame3 at 13:00| Comment(0) | 歴史認識