戦後70年の節目の年、総理大臣談話が世界の注目を集める。戦後70年経っても中国や韓国と日本の間の歴史認識は相違したままであり、近年の政治状況において、その認識のずれが拡大しているようにも思える。歴史認識問題がここまでこじれる理由が日本人にはよく理解できず、戸惑いを隠せない。現在の中国と韓国において、日本の植民地時代や戦争の記憶は、日本人のそれとは何か根本的な違いがあるようにも思える。太平洋戦争中、朝鮮半島は大日本帝国に併合されていたので当然韓国と日本は直接戦争をしていない。また 中国戦線では主に日本と戦ったのは蒋介石国民党軍(現在の台湾政府)である。その下で、共産党軍(八路軍)は抗日ゲリラ戦を行い日本軍と戦っている。現在の共産党政府の中華人民共和国は中国内戦後に建国されたものである。日本が終戦後の混乱にあえいでいる時、これらの国々は大きな戦争、内戦を経験している。そのことを踏まえて歴史認識を考える必要がありそうである。
第2次大戦後1946年に中国は再び国共内戦におちいり、1949年毛沢東率いる共産軍が大陸を占領し中華人民共和国の建国を北京で宣言している。共産党軍は、ソ連から旧満州の利権を譲渡されその工業力で軍備を揃えた。また、シベリア抑留捕虜となった日本軍の兵器も使えた。ソ連の軍事支援も受けている。共産軍は民衆の多くを味方につけることもできた。かたや日中戦争中 米国から大きな支援を受けていた蒋介石軍は、戦後その支援を受けられなくなり急速に弱体化する。米国により内戦を調停されたが、蒋介石はこれに従わなかったためである。結局 蒋介石は共産軍に追われ台湾に逃れた。当時まで米国はアジアでの共産主義の拡大の脅威を本気で警戒していなかったようである。この判断ミスは、近現代史におけるアメリカ最大のミスとされる。とにかく、現在の共産党政権は、日本と戦って勝利した蒋介石軍を内戦により駆逐した政権なのである。
朝鮮半島においては、日本軍が去った後、38度線を境に北部がソ連、南部がアメリカの信託統治となり 1948年それぞれ朝鮮人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の建国を宣言する。大韓民国の初代大統領は李承晩である。彼は抗日活動家ではあるが、1919年日本統治下においては上海において臨時政府を立ち上げ大統領に就任。その後 解任され親米派としてハワイに在住する。朝鮮半島において抗日独立運動をしたわけではない。戦後米国の力を得てハワイから朝鮮半島に移り大韓民国の建国に貢献する。1950年に北朝鮮軍(金日成)が突然国境を越えて侵攻をはじめ朝鮮戦争が勃発した。北朝鮮軍は、日本統治下時代の工業力を背景に優勢に進軍し朝鮮半島南端まで攻め込む。米国は慌てて国連軍を組織しマッカーサーを最高指揮官とし、韓国を支援し仁川上陸作戦を成功させ攻勢に転ずる。国連軍は中国国境まで押し戻したとことで、大規模な中国義勇軍(共産軍)の反撃に合い、またもや38度線付近まで押し戻される。北側にはソ連の武器支援も加勢した。膠着状態が続き、マッカーサーは、中国満州地方への原爆攻撃と蒋介石軍の参戦を主張した。しかし、第3次世界大戦を危惧したトルーマン大統領により解任されている。1953年の停戦協定までの3年間、朝鮮半島では酷い地上戦が行われ、おびただしい数の市民が亡くなっている。正確な数字は不明であるが、この3年間で350万人(国民の1/7)が亡くなっているとする報告もある。太平洋戦争中は、朝鮮半島は米軍の攻撃が少なかっただけに、その被害と比べると朝鮮戦争の被害はあまりに甚大である。
両政府の成り立ちと日本との関係は一見希薄なように見える。しかし その成り立ちの中において、太平洋戦争中の抗日的な姿勢が共通項として浮かび上がる。そして 両国とも建国前後に悲惨で大きな戦争、内戦を経験している。毛沢東は蒋介石と、李承晩は金日成という同一民族と戦って建国ができた歴史がある。ここで注意しなければならないのは、毛沢東も李承晩も太平洋戦争中日本軍と直接戦って独立を勝ち取った訳ではないのである。そして 現在もなお、どちらも相手を滅ぼしたわけではなく休戦状態となっているだけである。38度線や台湾海峡では内戦後も武力衝突が続いた。ちなみに蒋介石は日本軍国主義と8年にわたり戦い、ポツダム宣言を突き付け、勝利した政権である。金日成は抗日パルチザンとして旧満州で日本軍とゲリラ戦を戦った歴史のある政権である。すなわち、現中国と韓国は自分たちの国家の出自に「負い目」があり、政権の正当性、道徳的正当性を常に国際社会に訴え続けなければ国民や世界は納得しない宿命があるわけである。その道徳的正当性の「根拠」におかれたのが希薄ではあるが「日本の軍国主義」との対立の歴史である。または、非人道的な非植民地支配を受けたという歴史である。
日本は戦後時間がたってから両国と(平和?)条約を結び、多大な経済支援を行ってきた。そのことを日本国民はよく知っている。その支援をもとに両国とも大きな経済発展を遂げた。あまりに急速な経済成長に経済格差が発生し、両国ともその国内的な歪に苦しんでいる。近年は、国内問題の鎮静化にも仮想敵国としての「軍国主義日本、非人道的な植民地支配」が使われだした。
このいう視点で見ると、常に自らの政権の脆弱性を意識している彼らは、常に日本バッシングを続けなければ存続しえない政府なのであることが理解できる。「日本が太平洋戦争を侵略戦争ではない、すくなくとも現在の共産中国、戦後成立した韓国に対しては侵略行為や植民地支配はしていない」という歴史認識が通れば中国も韓国もその存立の正当性を疑われる。韓国においては、戦争継続中の北朝鮮指導者「金日成」こそが抗日パルチザンであり、朝鮮統一の正当性がある政権だとなれば大変なことだ。国家の存亡にかかわる問題である。中国とて同じである。中国を日本軍より開放したのは蒋介石であるからだ。日本はそのことを理解した上で歴史認識問題に取り組まなければならない。東南アジアの国々も同じ論理が成り立つ政権はあるが、現政権が少なくとも日本軍、日本支配からの解放勢力と軍事対立しているわけではない。歴史認識問題はかように今日的な政治問題なのである。政治問題である以上感情的な対応は解決にならないし、いくら客観的史実を積み上げても彼らは納得しない。彼らの真の目的は「国家存立の道徳的正当性」を高め維持していくことであるからだ。
蛇足ではあるが、戦後の歴史をたどると、日本が中国東北部(満州)や朝鮮半島を支配した事実、その影響は日本人が想像する以上に大きいことがわかる。旧満州の工業力は、終戦後 ソ連から毛沢東共産軍に引き継がれ中国の共産化の原動力となっている。また その力は、朝鮮戦争でも発揮し中国義勇軍の戦力となる。マッカーサーをして数十発の原爆攻撃を進言させたほどである。また朝鮮併合時代の北朝鮮の工業力は朝鮮戦争でその威力を見せつける。彼らは日本支配下の工業的遺産でその後の戦争を戦ったのである。もともとロシアの南下を恐れ、アジアの共産化を防ぐ防共の砦として築かれたこれらの工業地帯は太平洋戦争後、共産軍の手に渡り 将棋の駒のように「成金」になってしまった。北東アジアがあっと言う間に共産化するのも無理のない話ではある。戦後日本人はそのことを忘れてしまっている。いや 戦後占領政策の中で教科書から削除されている。中国や韓国の成立の歴史をたどれば、戦前の日本支配地域における工業力を過小評価せざるを得ないからである。彼らにとって日本の支配とは、飽くまで搾取され続けた植民地支配の歴史であり、産業遺産などあっては困るのである。戦後70年が経ち、中国共産主義の膨張が現実のものとなり、地政学リスクが懸念されているのは歴史の皮肉でもある。