人が本当の自分を知るためには、他人の視線を通して自己を見つめること。すなわち、他人の言葉の中から自分に関する情報を探し出し、自分の知りえない自分自身を知るしか方法がない。それは、本当の自分を受け入れられない人間にとっては恐ろしいことでもある。ゆえに、人は他人に嫌われたくないという意識が自然と働く。
「承認欲求」とは、人間が組織や他人からその存在を認められ、褒められ、賞賛され、感謝されることを願う欲求をいう。マズローの唱えた欲求5段階説のなかにもその欲求がある。人間がこの世に生れて初めて持つ人間関係が親との関係だ。親から認められずに育った人間は健全に成長できない可能性が大きいとされる。たとえば、親から暴力を受けた子供の場合、「この世界は恐ろしいものだ。自分は必要のない人間だ」という刷り込みが生まれ神経質な人間になる。親からの愛情が欠落した場合、大人になってもその愛情を求めてさまよえる人になってしまう。それ以上の崇高な人間的成長欲求が生まれず、人間の成長ができにくいとされる。この説は、健康な人間の成長を調査しそれをベースに論じたマズローだけでなく、深層心理の存在を提唱したフロイトやその思想を受け継いだユングも同じ結論に行きついている。アダルトチルドレンの問題、褒めて育てる教育論などもこの考えに根付いている。その人の存在を認める承認とは、その人の人生にとってかくも重要なものである。
会社組織の人事制度にもこの「承認欲求」がベースにある。社員の持っている「承認欲求」を巧みに操り、その人の仕事へのモチベーションを煽る。当然ながら金銭的な処遇も仕事のモチベーションにはなりうるが、私が一番ストレスに感じたのはこの「承認欲求」をベースにした人事制度である。自分が評価され、組織での地位を与えられるため、評価者である上司のために仕事をするように促す制度である。特に現場から離れれば離れるほどこの傾向は強くあった。地位とは、組織から与えられた承認の形そのものである。仕事の意義そのものにモチベーションを見出している人と地位(承認)を得るために働いている人が混在していた。これに輪をかけて話を複雑にしているのは、近年会社組織で最も優先されている言葉「顧客指向」がある。すなわち、仕事の価値は、自分(たち)で決められるものではなく、顧客(社会)が決めることである、ということだ。この考えが、個人にも拡大適用され、個人の価値は他人が決める、他人(上司)に認められない人間は少なくとも会社では価値がないという短絡的な解釈につながっている。人の価値を肩書きで測るということだ。どこかにいびつなものを感じながら、会社員人生を送っていた自分がいる。
「嫌われる勇気」この本では、アドラーの考え方を紹介している。彼はこの「承認欲求」に囚われた生き方そのものを否定し、それらからの「自由」を勝ち取る「勇気」を持つことを勧めている。また、人間の過去の生い立ちや経験、トラウマを原因として、精神的な発達を妨げるとしたフロイトやユング、そしてマズローの因果論的な考え方ともたもとを分かっている。アドラーの教えは、にわかには飲み込めにくい考え方ではあるが、非常に新鮮だ。人の生き方を根底から変える力強さがある。アドラー的な生き方を実践するには、その人の年齢の半分の時間がかかるという。自分自身、歳を取り過ぎた感もあるが、まだ少しアドラー的に変化する余地もありそうだ。